生きることについて考えた

昨日、今日と進撃の巨人を観てたんだ。アニメは観たことなかったし、漫画もほとんど覚えていなかったからさ。ついさっき全部見終わってさ。変だけど、俺って平和だなって思った。向こうはアニメ、漫画の世界なのに。なんでか、現実と比べて。で、進撃の巨人の世界にスマホとかPCとかないじゃん。50年前のこの世界にもなかったのよ。だから、毎日が暇だったのかなって思って。進撃の巨人は巨人を倒すって目的があるけどさ。てか、世界対戦の時は他国の兵士を殺すが目的だったのか。そう思うと、意外と比べられるものなのかなって。進撃の巨人は25巻までしか見たことないから、今後の展開がどうなるのかわかんないんだけど。もし、全てが終わって僕らの時代になったとしたら。そして進撃の巨人のようなアニメができていたとして、僕(筆者)のような若者がいるとしたら、Hatenaブログのようなものがあるとしたら、今こうして僕が書いているような若者が生まれるのかなって思った。不思議なんだよね。アニメなのに。ただ、その時の方が毎日苦しいけど、毎日を感じているんじゃないかなって。そりゃ主人公たちが生き残らないと見てるこちら側は面白くないだろうけど。実際の戦争だとこの人が主人公だからとかないんだよね。まあ、僕たちの世界が僕たちの知らない存在たちの娯楽的なものであれば別だけど。そんなこと考えたらキリがないよね。何も残らない、空っぽな自分を知った時になんでこの世に生まれたんだろうなって思う。別に自殺がしたいとかは思わない。けど、自分を知っているのはやっぱり自分。今のこの一瞬で何を考えているのかを知っているのは自分なんだし。癖とかは周りの方が自分よりもわかるかもしれない。けど、誰にも言えない何かを知っているのは絶対自分。結局、絆とか信頼とかって築くことってできないんじゃないかなって思う。捻くれているのかな。思春期なのかな。俺22歳になったばかりなんだけどね。10年前にはスマホは生まれていたのか。家族も結局は血の繋がった僕以外の人間。心を共有できない。したくもないけどね。何もなくなった時に、残るのは自分だけ。自分で、世界を見る。なんのために働いているのかなんて考えなくていいと思う。けど、代わりはたくさんいる。まあ、経済が回らなくなるほど仕事を放棄できる人はいない。働くことってなんだろう。何かしていないとムズムズするのが人間なんだろうな。そうやって創設者は僕たちを作った。宇宙はずっと謎のままだろうな。宇宙の果てなんてありそうにない。あったらあったでつまんない。つまんないくらいならない方が嬉しい。探究心のある人のためである。まだまだ解明されていないことだらけだなって。僕の脳も何を思ってこんなことを書いているのか。これは僕しか生み出せない考えだろう。これを一字一句この瞬間に書いている人は僕しかいないのだから。パラレルワールドがあってもだと思う。僕の周りに飛んでいる埃が全て一緒なわけもない。この瞬間を体験しているのは絶対に僕だ。可能性は100ではない。これも探究心がある者のために言っておく。結局、何もわからない。誰も知らない。僕たちがこうして生きていることの意味を。知っている。僕は彼女と笑顔に暮らしたいから、今の仕事が好きだから、生まれてきたから、何かのためやら、誰かのためとかそんなものはいらない。それ自体が、このちっぽけな世界の囲いの中で行き着いた君の考え。もっと大きく考えることだってできる。それは考えなのか。もっと違う何かで、言葉とかもわからなくて、とりあえず、わからない。みんな分かったふりをしているだけ。分かった気になっているだけ。もっと言えば、分かったようになるように仕向けられただけ。誰でもない。何かに。その壮大な何かは多分この先もずっとわからない。誰にも知られずにどこかでひっそり。生きているのではなく、存在しているのだと思う。

今日のこの頃。ふとYoutube観てたらNMB48の山本彩さんの卒業コンサートのやつで懐かしい曲流れてて。ほんで高校野球辛かったなって感情が思い出してきて。多分感情と記憶って強く結ばれてること多いから。辛かった時よく聴いてた。青春のラップタイムとか高嶺の林檎とか太宰治とか。そんなこと書いてます。

野球したくて入学前に行ったら、推薦メンバーがいて冷たい目でさ。辛かったんよ。

 

朝は早いしさ。コミュニケーションが取れなくてね。きつかったー。で、昔から48グループが好きでその時はよくNMB48聴いてたんやってな。山本、渡辺、山田が鉄板でさ。1期生にりぽぽとか岸野とかでも、最高やってんてな。イヤホンは怒られるから、胸ポケットに携帯入れて聴いてたわ。

 

 

また書きます